高貴な方の遊びだった屋形船

25 4月
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日本書紀に描かれている舟遊び

日本の書物の中で、舟遊びが登場する一番古い書物は日本書紀です。
日本書紀には、402年履中天皇が舟にのって遊宴を楽しんだという記述が載っています。
その後、平安貴族の間で舟遊びは成熟し、一度に20人も乗れるような龍頭鷁首舟と呼ばれる立派な舟が登場します。
これを池などに浮かべて詩歌や舞楽を楽しむわけです。
現在でも、京都府嵯峨野にある大覚寺に行けば平安の昔さながらの龍頭鷁首舟に乗ることができます。
大沢池に浮かぶ龍頭鷁首舟は意外と簡単な作りの船ですが、平安時代の龍頭鷁首舟と同じ龍頭鷁首が舳先に飾られています。
大沢池特設舞台や五大堂観月台を眺めながら大沢池を周遊すれば、平安貴族にでもなったような気分がすることでしょう。

江戸時代に定着した舟遊び

舟遊びに用いられる舟が広く一般に屋形船と呼ばれるようになったのは江戸時代のことです。
なぜそう呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、大名に与えられた屋形号に因んでつけられたという説が有力のようです。
時代劇などでもお屋形様といえば大名のことを指します。
大名が御座船で舟遊びをしている様子を見て、お屋形様が乗っている舟ということで屋形船と呼ぶようになったとしてもおかしくはありません。
江戸時代になると、夕涼みのために多くの御座船が隅田川などに繰り出して賑わったそうです。
これは河川の整備が整ったことも大きな要因となりました。
太平な世が続いたことで、大名にも遊びを楽しもうという気持ちが出てきたのかもしれません。
大名だけではなく豪商と呼ばれる商人たちも涼み舟を出したことから、かなりの混雑ぶりだったようです。

華美を競った江戸の舟遊び

17世紀中期になると、それぞれに贅を尽くした屋形船が登場します。
船頭が18人も乗っているような大型船もあったそうですから、これはもうそのまま外洋に漕ぎ出しても大丈夫なくらい大きさです。
また、座敷が9つあり台所が1つついた九間一丸と呼ばれる船も登場し、大型化はここに極まれりといった感があります。
大きさの競争が頭打ちになると、今度は朱塗りであでやかさを競ったり、豪奢な金具できらびやかさを競ったといいますから、この頃の夏の江戸の海はきっとこの上なく美しかったに違いありません。
ただ、それも長くは続きませんでした。
幕府から倹約令が出て厳しく取り締まったため、大きさがどんどん小さくなり今の形になったといいます。

江戸の庶民にも親しまれた舟遊び

舟遊びに興じていたのは大名と豪商だけかといえばそうではありません。
江戸の町人たちもなかなかの舟遊び好きで、その様子は落語などでも語られています。
町人たちは、船宿が持つ屋根船と呼ばれた船で舟遊びを楽しんでいました。
この船は、武士以外は障子を使えなかったため四方をすだれで覆い、4本の柱に屋根が付いていたとても簡単な作りのものでした。
両国の川開きともなると、お大尽から庶民まで船で繰り出したため、500余りの船が川面を埋め尽くしたといいます。
大名から町人まで、それほど舟遊びが好きだったのでしょう。

現在の舟遊び

江戸時代、あれほど盛んだった舟遊びも2つの大戦が起こったことで絶えてなくなりました。
現在のような屋形船が登場したのは、戦後20年以上も経った1970年代のことです。
それまで海苔の養殖や釣り船で細々と営業を行っていた船宿が、釣り船に改良を加えて屋形船が誕生しました。
その後、ちょうどバブル期を迎えたこともあり、どんどんその数が増えて今に至っています。
長く平和が続いた現在は、ちょうど江戸時代の時と同じように舟遊びが盛んに行われています。
今では、エアコン完備、水洗トイレやカラオケもつき、この上なく便利になっています。
これからもどんどん便利になっていくことでしょう。

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